「 世界へのサーブ = 奉仕 」カルマヨガの土台となるヨガの考えかたを学びます
先日の朝ヨガライブでお話した「 幸せの追求 」の回の補足をします。
「 幸せ 」を、変化し続ける世界の中に見い出すことはできない一方で、
世界に「 奉仕するココロ 」は、わたしたちをこの世界で「 成功の鍵 」となります。
この2つは、一見矛盾しているように思われがちですが、どういうことか、詳しくみていきましょう。
「 幸せの追求 」に関する復習
- 一般的なイメージ
幸せ = 成功 ( 経済力・人間関係・社会での地位など ) - 物質世界は変化し続ける
- 変化するものに「 変わらない幸せ 」を見つけることは不可能
- ヨガ哲学
至福 = 「 プルシャ 」への到達
「 至福 」の前段階
ヨガで「 至福 」とは、「 プルシャ 」への到達。
なにをもたずとも、幸せ!と感じることのできる境地。
ですが、このステージは
「 悟り」を意味する最終段階。
わたしたちは、その前に「 世界 」という舞台で、人々の役にたつという、前段階を経験します。
役にたつ = 奉仕すること
わたしたちはこの世界で、失敗を経験し、悔しい思い、悲しい思いをし、 そののちに人の役に立つ = 奉仕することを学びます。
世界の荒波は、わたしたちのココロの強くきたえるためにあるのです!
わたしたちが経験するどの試練も、「 世界からのまなび 」タパス ( ニヤマ3番目 苦行 ) として受け入れます。
人の役に立つことを、「 よろこび 」に感じられるようになった時、
わたしたちの行為自体が「 ヨガ 」となり、
「 行為のヨガ 」
カルマヨガという種類のヨガに分類されます。
Karma Yoga = Yoga of action
- 行為のヨガ
- 結果をもとめず、他者のために行為すること
無執着は「 成功の鍵 」
ヨガの聖典は、無執着 / ヴァイラーギャ こそがこの世界での成功の鍵だといいます。
すべてに見返りをもとめず、行為できるようになった時、
わたしたちは、行為の果実 ( = 報酬・結果 ) を世界から受けとるようになるのだそうです。
したの図は、ヨガ哲学 ワークショップで使う教材です。
世界からの見返りを放棄
「 物質世界に幸せは存在しない 」と言っておきながら、
「 無執着の行為が、人生の成功への鍵 」とされるのは、どういう事か。
心身の正しいつかいかた
ポイントは、「 ココロとカラダ 」が正しく使われる、という点にあります。
ココロやカラダというのは、アートマン のこの世での一時的な住み家で、言わば借り物。
わたしたちのものではありません。
借りている ( = この世に生きる ) 間、ココロとカラダは、この世界をよりよくするために役立たせるのが、正しい使いかた。
見返りは、そもそも不要なのです。
無執着のほうがラク
見返りをもとめるココロは、不満を生み、ドゥエーシャ ( 憎悪 ) につながります。
最初からヴァイラーギャ ( 無執着 ) のココロでいるほうが、よっぽど 自分のココロにくつろぐことができます。
ヨガは「 より生きるための知恵 」
1つ1つの「 行為 」が、人によろこんでもらえるものか、
世界と調和しているか、
そこに見返りを期待していないか、分析してみてください。
皆さんの毎日に、ヨガの「 知恵 」が少しでも届けば幸いです。
ヨガ哲学 ワークショップ開催
11月24日 16時〜