ヨガ哲学と実践について、それは地図とそれを歩くようなもの
ヨガ哲学と実践、そして瞑想について。
よい学びがあったので、忘れないようにまとめておきます。
ヨガの哲学( 理論 )と実践について
哲学 = 「地図」の役割
地図のない実践は
やってることが正しい方向へ向かっているか分からないので、「哲学」はある程度必要なものになるかと思う😌#ヨガ #yoga pic.twitter.com/EIbuBy6UDe— New York Style YOGA (@mikamikayoga)
哲学(理論)と実践
哲学 ( 理論 ) = 地図
実践 = それを歩く
地図のない実践は、やってることが正しい方向へ向かっているかわからないので、方向性を示すような「 哲学的なもの 」はある程度必要。
ヨガの実践の量について
みなさん、それぞれの生活があるので「今の自分の生活に合わせて」で十分。
誰かがこうしてるから、同じようにって考えても仕方ないのです。
瞑想について
雑念とは
瞑想中に湧いてくる「雑念」とは、日常生活送ってた余韻が出てくるもの。
もしくは仏教瞑想的には、心の奥底に潜んでいて、準備のできたものが雑念として浮かんでくる。
よい瞑想の定義
瞑想とは
「無」になろうとすることじゃなく
雑念が湧いたけど
それを微笑んでやり過ごせた
というのが
価値ある瞑想
瞑想中、雑念がなかった・あった というのは、評価すべきこてでもなんでもない。
注意を離れたら
意識を戻す練習が 瞑想とか、マインドフルネスと思ってやりましょう。
カルマヨガ・行為のヨガ
気づきをもって行う
ヨガの理論と実践
= 地図とそれを歩く
ヨガやストレッチをしてなくても 実践はみんな絶対に日常のなかでしている
社会での仕事だって
気づきをもって注意深く行うことで「ヨガ」になる。
そういうヨガを
カルマヨガ(行為のヨガ)という!
インテグラルヨーガのヴィヴェーカナンダ先生は、「カルマヨガ」こそもっとも尊いんだとおっしゃっています。
日常のすべてが実践
だから「ヨガの実践」をやってない ということはない。
みなさんが、そういうつもりで
やってない ってことはあるかもしへない。
ヨガのアーサナに拘らず
わたしたちの日常のそういうの
全てがヨガの実践と捉えてみては
どうでしょうか。
ヨガアサナ
ヨガのアーサナ ( ポーズ )
と現代で呼ばれてるもののうち
インドの伝統でないものの方が多いくらいです。
ただし
それらを気づきを持って注意深く行うことをすると、インドの大いなる伝統に入ってくる
体操として
「どんだけ曲ったか〜」
とかであれは
それはフィットネス
もちろんそれはそれでオッケー。
体にもいいし
充実感もあっていい。
でもインドの大いなる伝統
とは特に関係のない何か
ということではあるかと思っております。
書籍「 現代スピリチュアリティ文化論 」
今回のブログ記事は、「 現代スピリチュアリティ文化論 」の著者、伊藤雅之先生のお話を参考にしています。
ヴィヴェーカナンダ先生の「インテグラルヨガ」は人生のバイブルです!
ありがとうございました!
NAMASTE.
N.Y. Style YOGA founder Mika