ヨガ哲学と実践について、それは地図とそれを歩くようなもの

 

ヨガ哲学実践、そして瞑想について。

よい学びがあったので、忘れないようにまとめておきます。

@newyorkstyleyoga

 

 


 

哲学(理論)と実践

 

哲学 ( 理論 )  = 地図
実践 = それを歩く
 

 

地図のない実践は、やってることが正しい方向へ向かっているかわからないので、方向性を示すような「 哲学的なもの 」はある程度必要。

 


 

ヨガの実践の量について

 

みなさん、それぞれの生活があるので「今の自分の生活に合わせて」で十分。

誰かがこうしてるから、同じようにって考えても仕方ないのです。

 


 

瞑想について

 

雑念とは

 

瞑想中に湧いてくる「雑念」とは、日常生活送ってた余韻が出てくるもの。

もしくは仏教瞑想的には、心の奥底に潜んでいて、準備のできたものが雑念として浮かんでくる。

 

よい瞑想の定義

 

瞑想とは
「無」になろうとすることじゃなく

雑念が湧いたけど
それを微笑んでやり過ごせた

というのが
価値ある瞑想

瞑想中、雑念がなかった・あった というのは、評価すべきこてでもなんでもない

注意を離れたら
意識を戻す練習
が 瞑想とか、マインドフルネスと思ってやりましょう。

 


 

カルマヨガ・行為のヨガ

 

気づきをもって行う

 

ヨガの理論と実践
= 地図とそれを歩く

ヨガストレッチをしてなくても 実践はみんな絶対に日常のなかでしている

社会での仕事だって
気づきをもって注意深く行うことで「ヨガ」になる

そういうヨガを
カルマヨガ(行為のヨガ)という!

インテグラルヨーガヴィヴェーカナンダ先生は、「カルマヨガ」こそもっとも尊いんだとおっしゃっています。

 

日常のすべてが実践

 

だから「ヨガの実践」をやってない ということはない。

みなさんが、そういうつもりで
やってない
ってことはあるかもしへない。

ヨガのアーサナに拘らず
わたしたちの日常のそういうの
全てがヨガの実践と捉えてみては
どうでしょうか。

 


 

ヨガアサナ

 

ヨガのアーサナ ( ポーズ )
と現代で呼ばれてるもののうち
インドの伝統でないものの方が多いくらいです。

ただし
それらを気づきを持って注意深く行うことをすると、インドの大いなる伝統に入ってくる

体操として
どんだけ曲ったか〜
とかであれは
それはフィットネス

もちろんそれはそれでオッケー。

体にもいいし
充実感もあっていい。

でもインドの大いなる伝統
とは特に関係のない何か
ということではあるかと思っております。

 


 

書籍「 現代スピリチュアリティ文化論 」

 

今回のブログ記事は、「 現代スピリチュアリティ文化論 」の著者、伊藤雅之先生のお話を参考にしています。

 

 

ヴィヴェーカナンダ先生の「インテグラルヨガ」は人生のバイブルです!

 

 

ありがとうございました!

 

NAMASTE.

 

N.Y. Style YOGA founder  Mika